2011年9月29日木曜日

守り本尊を安置した持仏堂・・・源頼朝墓

1189年(文治5年)、源頼朝は、御所(大倉幕府)の裏山に、守り本尊である聖観音像を安置した持仏堂を建てます。

(参考:源頼朝の守り本尊~正(聖)観音像~

その場所は、現在、頼朝の墓が建てられている場所だといわれています。


源頼朝墓への石段



頼朝持仏堂は、御所(大倉幕府)を見下ろす所に建てられました。


源頼朝墓

頼朝は、1199年(正治元年)1月13日に亡くなり、持仏堂に葬られたといわれ、その後、持仏堂は「法華堂」と称されたといいます。


法華堂跡碑

1200年(正治2年)1月13日には、法華堂で一周忌が営まれ、北条政子が自らの髪の毛を刺繍した曼荼羅が飾られたそうです。

(参考:北条政子の頭髪曼荼羅~源頼朝の一周忌~


1211年(建暦元年)に鎌倉を訪れた鴨長明は、頼朝法華堂を参拝し、

「草も木も なびきし秋の霜消えて 空しき苔を はらう山風」

と詠んだといわれています。


1213年(建保元年)に起こった和田合戦では、御所に火を掛けられた将軍源実朝法華堂に避難しています。

1247年(宝治元年)の宝治合戦では、法華堂三浦泰村ら500名が自刃したと伝えられています。

三浦一族のやぐら

源頼朝墓

現在、法華堂跡に建てられている源頼朝の墓塔は、江戸時代に島津重豪が建てたもので、勝長寿院にあった墓塔を移したものともいわれています。

島津家の紋
頼朝の墓には、「丸に十字」の島津の紋も見えます。


春になると頼朝墓への参道には桜が咲きます。

頼朝墓前の桜並木


鎌倉まつりの開催期間中には、頼朝公墓前祭が行われています。

4月13日の頼朝公墓前祭

参道のスイセン

イチョウの黄葉もきれいです。
頼朝墓下の白旗神社

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