2011年9月13日火曜日

源頼朝の御所(大倉幕府)

1180年(治承4年)10月6日、鎌倉入りを果たした源頼朝は、大倉の地に屋敷を構えることとしました。

はじめは、山ノ内の首藤兼道邸が移築された建物でしたが、併行して新造の亭も造営されていたものと考えられています。

(参考:陰陽師安倍晴明の伝説~鎌倉:山ノ内~


新亭には、12月12日に入っています。

(参考:源頼朝の新亭造営~大倉幕府~



大倉幕府跡碑
頼朝の御所は、のちに「大倉幕府」と呼ばれます。
頼朝頼家実朝の源氏三代が政治を執った場所です。
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page041ookura-bakufu.htm


当初は、父義朝の屋敷があったという亀ヶ谷(現在の壽福寺付近)にしようと考えていたようですが、土地が狭かったことや、岡崎義実義朝を弔うために建てた祠があったことから、大倉の地を選んだのだといいます。


壽福寺
頼朝の父義朝の旧跡に建てられた寺です。
義朝の屋敷は逗子の沼浜にもあったといわれています。
(参考:法勝寺
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page137jyufukuji.htm


大倉幕府跡の桜並木





頼朝の御所(大倉幕府)には、東西南北に門があったといいます。
現在でもそれが「西御門」「東御門」といった地名で残されています。


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