鎌倉には、頼朝の先祖源頼義の建てた由比若宮がありましたが、頼朝は、小林郷北山(現在の若宮の辺)に社を建て、由比若宮をこの場所に遷座しました。
これが現在の鶴岡八幡宮のはじまりとなります。
鶴岡八幡宮 |
由比若宮の遷座は、頼朝の鎌倉入りからわずか6日後の10月12日のことでした。
ただ、このときの社は急造で粗末なものだったため、翌1181年(養和元年)には、新たな社の造営が行われます。
5月13日、頼朝は、土肥実平・大庭景義らに材木の手配を命じ、6月27日には、柱などの材木が由比ヶ浜に陸揚げされたといいます。
7月に入ると、本格的な造営が開始されました。
造営にあたって、鎌倉にはしかるべき棟梁がいないことから、武蔵国浅草の大工が呼び寄せられています。
そして、7月20日には上棟式が行われ、8月15日には遷宮が行われました。
1182年(養和2年)には、参道(若宮大路と段葛)が整備され、源平池の造営も行われます。
1189年(文治5年)には、頼朝の亡き母(由良御前)の供養のために五重塔が建立されたといいます。
二の鳥居と段葛 |
源平池 |
しかし、頼朝の鶴岡八幡宮は、1191年(建久2年)3月4日に発生した火事によって焼失してしまいます。
3月6日、鶴岡八幡宮に参った頼朝は、焼け残った礎石を見て涙したと伝えられています。
ただ、頼朝の行動はす早く、焼失後すぐに再建に向けた工事が行われました。
そして、改めて石清水八幡宮が勧請され、現在のような上宮(本宮)と下宮(若宮)の上下二段の構成となる社殿が再建されました。
御鎮座記念祭(御神楽) 毎年12月16日には、遷宮の儀が再現されています。 |
舞殿 |
その後、1193年(建久4年)には、舞殿が新造されました。
現在の若宮は、1624年(寛永元年)、徳川二代将軍秀忠によって、上宮は、1828年(文政11年)、徳川十一代将軍家斉によって造営されたものです。
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