その後、新しい社殿も造営し、若宮大路も整備され、鎌倉は鶴岡八幡宮を中心に発展していきました。
しかし、1191年(建久2年)3月4日の火災によって焼失してしまいます。
2日後の6日、頼朝は鶴岡八幡宮に参りますが、わずかに残された礎石をみて涙をこぼしたといいます。
しかし、頼朝は、すぐに復興に着手します。
そして、現在の上下両宮の姿に再建されました。
上宮(本宮)と舞殿 |
大臣山の中腹に上宮(本宮)が建てられました。 |
楼門と回廊
頼朝は、京より伶人を招いて、石清水八幡宮の神霊を迎える儀式を行っています。
毎年12月16日に行われる御鎮座記念祭は、その儀式を再現したものです。
海岸へ一直線に延びる若宮大路 |
現在の上宮(本宮)は、徳川十一将軍徳川家斉による造営です。
大正12年の関東大震災で倒潰しますが修造されています。
楼門前の河津桜 |
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