源頼朝は、京から送られてきた父義朝の遺骨を片瀬まで出迎えて受け取り、この寺で供養を行ったといいます。
(参考:源義朝の遺骨が葬られた勝長寿院)
鎌倉幕府六代将軍宗尊親王は、1266年(文永3年)、鎌倉を追放され、京へ送還される途中で本蓮寺に立ち寄り、
「帰り来て 又 見ん事も固瀬川 濁れる水のすまぬ世ならば」
と詠んだといいます。
本蓮寺は、龍口寺の輪番寺の役目も果たした寺です。
西行もどり松(江ノ島弁財天道標) 本蓮寺の近くには・・・ 源頼朝に弓馬について語ったという西行の遺跡もあります。 もともとは本蓮寺の門の脇に植えられていた松を、 「西行もどり松」と呼んでいたそうです。 |
(参考:鶴岡八幡宮の放生会と流鏑馬 江ノ島参詣道)
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