2011年9月27日火曜日

鶴岡八幡宮の二十五坊跡

鶴岡八幡宮の裏の御谷とよ呼ばれた谷には、鶴岡八幡宮の供僧が住する二十五坊がありました。

1191年(建久2年)には、「供僧二十五口の制」が定められています。






鶴岡八幡宮の供僧坊は、江戸時代まで十二坊が残されていましたが、明治の神仏分離によって全て廃されました。

(参考:神仏分離と鶴岡八幡宮

昭和に入ると宅地開発の話が持ち上がり、緑地保全のための運動が起こります。

この運動は日本初の「ナショナルトラスト運動」となり、古都保存法制定のきっかけとなりました。

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